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Yunoha
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火曜日ぐらいまで帰ってこないって言ったけど、本当は日曜日と月曜日の間に帰っていました。
実は急に母方の父である祖父が胃がんで亡くなり、お葬式に行ってました。
ちょっと暗い内容かもしれないので隠しておきます。

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私は高知と福岡に祖父母が居るんですけど、徳島に住んでいたこともあり高知の祖父母の家にはよく遊びに行ってましたが福岡宅にはそれこそ5年に1回ぐらいのペースで行くぐらいでした。
小学校の頃なら夏休みを使ってそれこそ行き来していたんですけど、中学からは部活も初めだんだんと間隔があくようになりましてね。

だから行っても久しぶりすぎて、親戚に会ってもどことなく他人行儀で・・・(私の人見知りスキルも相まって)
母からおじいちゃんの容態が悪いと聞いては居たんですけど、ちょうど去年のお盆に休みを貰って福岡に行ってその時おじいちゃんは元気に畑に居てスイカやカボチャをくれて、元気な記憶しかなかったのであまり深刻には思っていませんでした。

それでの急な訃報。
自分でも最低な孫だなと思いますが、そう聞いてもあまり実感味がなくて、正直な話「どんな顔だっけ」って考えていました。なんて奴だ。
でもいざ福岡に行って様々な花に囲まれた大きな祖父の写真を見ると一気に現実が押し寄せてきて、ああ本当に居なくなっちゃったんだなって。写真のおじいちゃんは私が一番記憶に残っている顔と一致して、あ、おじいちゃんだって。

でも棺の中の祖父の顔は、胃がんで食事が出来なかったということもありやせ細っていて写真とは似てもに付かなくて、一度納得したのに「あれ?本当におじいちゃん?」という感じでした。
何度か棺の中の顔と写真の顔を見比べたけど面影はどこにもなかった。
それでも母の力なく笑う顔や、親戚の沈んだ顔を見るとおじいちゃんなんだなと思い、それもまた私が知らなかっただけの最期の祖父の顔でした。

思い出は本当に少ないです。
小学校の頃の記憶はいつも外でバーベキューとしたというものしかなくて、エピソードというエピソードというものはありませんでした。
それでも流れる涙や愛おしい寂しいと感じる思いがあって、悲しかったです。80歳を越えていたので早すぎるということではありませんでしたが、それでももう少しという気持ちもありました。

お葬式ってあんまり出たことがなくて、曾祖母で初めて、今回で2回目でした。
前はあまり意識していなかったのですが、今回改めて思ったことが、お葬式って急なのに沢山の人が来てくれて、私の知らない故人の繋がりがそこにはあって、これが生きた証なんだなあって。

子どももその夫も(母方は全員女)孫も全員揃って、多くの人に見送られて、祖父も喜んでくれたことだと思います。そのことが単純に嬉しいです。あっちで大好きなお酒を飲んでいることでしょう。


ということで、暗い内容なのにここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
これは書くべきじゃないかなあとも思いましたが、私の経験談というか思ったことを残そうと思ったので記事として作りました。
あ、私は普通に元気です。普通に土沖小説を読んだりしてうひょうひょ言ってます。
良い式が出来て送り出せたと思っていますので^^

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