*******
塔の周りは森だった。
背の高い大木が辺り一面に生い茂り、青く茂った葉が地面に陰を落としていく。
どこからか甘い匂いがしたして、ああ花の匂いだとルックは思った。
あの人がそう教えてくれたから、これが花の匂いだとわかった。
でなければこんな甘い匂いなんて、あることさえ自分は知らなかったのだ。
葉を広げた枝の向こう、さらに高い場所で流れる雲と空を、ルックは寝っころがって眺めていた。
ぼんやりと眺める空は、あまりに遠くて高い。
前は上を向いても冷たい石の壁だったのに、今ではこんなに高い空が広がっているなんて嘘のようだ。空の青さも眩しさも、つい最近知った。
なんの感慨も浮かばない虚ろな緑の目をただ上に向けていると、ばさりと羽音がして、どこからか一羽の小さな鳥が飛んできた。
枝に止まった鳥は、きょときょとと周りを見回してから小さな嘴で鳴きはじめる。
高くて綺麗な声。
あんな小さな身体なのに、こんな声で歌えるのが不思議だとルックは思った。
柔らかくて簡単に壊れてしまいそうなのに、それでもじんわりと温もりがあるのも不思議だった。
高らかに歌う小さな小鳥。
生きているのも不思議だとはじめは思っていた。
見るものすべてがはじめての色で形だったのは少し前。
見て触ってひどく感動していたのも少し前。
今はなんだか、全部が虚ろのように見える。
だっていつかはみんな、夢のようにモノクロームに飲み込まれてしまうのだ。
青い空も白い雲も、擦れ合う葉のさえずりも鳥の歌も。
みんなみんな、夢の果てに消えてしまう。
あの静かな世界に、全部もっていかれてしまうのだ。
「………」
ルックはゆっくりと手を伸ばしてみた。
色も音も歌も、やんわりと降り注ぐ光も、いつかは全部なくなる。
手を伸ばしてもそれらは届かない。
――だから、諦める。
果てを知ったからと言って、己に何ができるというわけでもなく。
ぱたりと手を下ろして、ルックは目を閉じた。
たとえば、今の現状はそれに近いものがあるだろう。
すぐそこにあって、触れられそうなのに手が届くことはない。
求めても、それはするりと掴むことはできない。
願うだけ無駄なのである。
ルックはそっと目を開けた。
一本の木の下。
幹に背を預けている自分と少し距離を開けて、見慣れた赤い服を纏った光が惰眠をくっている。
眉を寄せて苦しそうにしているが、ルックはどうすることもできない――どうすればいいかわからない。
ほとんど頭に入ってこなかった本をルックは膝からおろして、光へと身を動かした。
夢見の悪そうな彼の、地面の上に転がっている右手へそっと手を伸ばして掴んでみる。
触れた瞬間彼は飛び起きたが、ルックはぼんやりと合わさった互いの手を見ていた。
確かに触れることはできる。
けれど触れたことができたといっても、どうせこの手は何も掴めていないのだろう。
ああ、やっぱり届かない。
夏の暑さにやられたように、ぼんやりとしか働かない頭でルックはそれだけを理解した。
視線を徐々に上へとやって、ぽかんとしている男を見る。
光は目を細めてどこか悲しそうな笑みを見せた。
(……やめてほしい)
どうせ届かないんだから、そんなふうに笑うのはやめてほしい。
けれど焦がれた焦燥。
手を伸ばしても無駄だと知っていたのに、君がそんなふうに笑うから。
「おはよう」
期待してしまう。
**********
多分2時代。
目を覚ました坊になんの言い訳もしない、ちょっとだけ素直なルック。
塔の周りは森だった。
背の高い大木が辺り一面に生い茂り、青く茂った葉が地面に陰を落としていく。
どこからか甘い匂いがしたして、ああ花の匂いだとルックは思った。
あの人がそう教えてくれたから、これが花の匂いだとわかった。
でなければこんな甘い匂いなんて、あることさえ自分は知らなかったのだ。
葉を広げた枝の向こう、さらに高い場所で流れる雲と空を、ルックは寝っころがって眺めていた。
ぼんやりと眺める空は、あまりに遠くて高い。
前は上を向いても冷たい石の壁だったのに、今ではこんなに高い空が広がっているなんて嘘のようだ。空の青さも眩しさも、つい最近知った。
なんの感慨も浮かばない虚ろな緑の目をただ上に向けていると、ばさりと羽音がして、どこからか一羽の小さな鳥が飛んできた。
枝に止まった鳥は、きょときょとと周りを見回してから小さな嘴で鳴きはじめる。
高くて綺麗な声。
あんな小さな身体なのに、こんな声で歌えるのが不思議だとルックは思った。
柔らかくて簡単に壊れてしまいそうなのに、それでもじんわりと温もりがあるのも不思議だった。
高らかに歌う小さな小鳥。
生きているのも不思議だとはじめは思っていた。
見るものすべてがはじめての色で形だったのは少し前。
見て触ってひどく感動していたのも少し前。
今はなんだか、全部が虚ろのように見える。
だっていつかはみんな、夢のようにモノクロームに飲み込まれてしまうのだ。
青い空も白い雲も、擦れ合う葉のさえずりも鳥の歌も。
みんなみんな、夢の果てに消えてしまう。
あの静かな世界に、全部もっていかれてしまうのだ。
「………」
ルックはゆっくりと手を伸ばしてみた。
色も音も歌も、やんわりと降り注ぐ光も、いつかは全部なくなる。
手を伸ばしてもそれらは届かない。
――だから、諦める。
果てを知ったからと言って、己に何ができるというわけでもなく。
ぱたりと手を下ろして、ルックは目を閉じた。
たとえば、今の現状はそれに近いものがあるだろう。
すぐそこにあって、触れられそうなのに手が届くことはない。
求めても、それはするりと掴むことはできない。
願うだけ無駄なのである。
ルックはそっと目を開けた。
一本の木の下。
幹に背を預けている自分と少し距離を開けて、見慣れた赤い服を纏った光が惰眠をくっている。
眉を寄せて苦しそうにしているが、ルックはどうすることもできない――どうすればいいかわからない。
ほとんど頭に入ってこなかった本をルックは膝からおろして、光へと身を動かした。
夢見の悪そうな彼の、地面の上に転がっている右手へそっと手を伸ばして掴んでみる。
触れた瞬間彼は飛び起きたが、ルックはぼんやりと合わさった互いの手を見ていた。
確かに触れることはできる。
けれど触れたことができたといっても、どうせこの手は何も掴めていないのだろう。
ああ、やっぱり届かない。
夏の暑さにやられたように、ぼんやりとしか働かない頭でルックはそれだけを理解した。
視線を徐々に上へとやって、ぽかんとしている男を見る。
光は目を細めてどこか悲しそうな笑みを見せた。
(……やめてほしい)
どうせ届かないんだから、そんなふうに笑うのはやめてほしい。
けれど焦がれた焦燥。
手を伸ばしても無駄だと知っていたのに、君がそんなふうに笑うから。
「おはよう」
期待してしまう。
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多分2時代。
目を覚ました坊になんの言い訳もしない、ちょっとだけ素直なルック。
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